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働き盛りのメンタルヘルス vol.14

「コミュニケーション」とは一体何か

日常用語として定着しているコミュニケーション――この「コミュニケーション」には、じつにさまざまな意味が含まれています。今回は、本年度の連載のテーマである「コミュニケーション」とは一体何かを考えてみたいと思います。

※このコラムは「健康保険」2011年5月号に掲載されたものです。

人によってコミュニケーションの意味が異なっている

みなさんは「コミュニケーション」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。あいさつ、ホウ・レン・ソウ(報告・連絡・相談)、根回し、雑談、プレゼンテーションなど、コミュニケーションという言葉から思い浮かべるものは人それぞれです。上司が、「部下とのコミュニケーションがうまくいかない」と話す時は、自分の指示がうまく伝わっていないといった意味でコミュニケーションが用いられているでしょう。また、「最近、妻とのコミュニケーションがとれてないんだ」と話す人は、コミュニケーションを「会話」と考えているように思えます。このようにコミュニケーションの概念は、たいへん幅広く、同じ言葉であっても人によって受け取り方が異なることが多く見られます。ですからある人にとっては、日々の「あいさつ」やちょっとした「声かけ」がコミュニケーションであり、またある人にとっては「業務課題の話し合い・議論」が、さらに飲み会を通じた交流を意味する「飲みニケーション」のように、業務外の付き合いを示すこともあります。

コミュニケーションはラテン語の「コミュニカチオ(communicatio)」が語源とされ、「共有する、分かち合う」という意味をもちます。英語のコミュニケーションを訳してみると、「人間の情報交換や、思考と感情の表現のプロセス」であるとされています。つまり、コミュニケーションという言葉は、そもそも「情報を交換する、共有する」程度の意味しか持ち合わせていないのです。

それがなぜ、あいさつからプレゼンテーションまで、多義にわたるニュアンスを意味するようになってしまったのか。その背景には、日本語にコミュニケーションにあたる、適切な訳語が見当たらないことがあります。

『広辞苑』では、コミュニケーションを「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする」としています。やはり単に情報を誰かに伝えるという意味以上の説明にはなっていません。しっくりとくる訳語がないために、コミュニケーションには情報伝達にまつわるあらゆる言葉が含まれるのでしょう。

それでも日本人はコミュニケーションが得意

コミュニケーションを表す的確な訳語が見当たらないということは、概念を明確にする必要性がなかったか、多くの人ができていることなので意識されることが少なかったからでしょう。あえて、日本語でコミュニケーションにあたりそうな概念を検討してみると、「以心伝心」「間(ま)」「あうんの呼吸」等に示されるような、情報伝達よりも、いわば状況を把握する能力がそれにあたります。

つまり、日本人は「場の空気」を理解したり、より良くすることを重視しコミュニケーション、すなわち直接的な情報伝達を重視しなくとも、分かり合うことのできてきた人びとだといえるかもしれません。言い換えれば、日本人は、対人関係におけるさまざまな情報交流において、論理による直接的な方法よりも、感情の共有を重視していると考えられます。

こうした仮説を象徴する出来事の1つとして、コミュニケーション力が若い人たちに不足しているという言説とセットで話題になった「KY=空気が読めない」という表現があげられます。その背景には、これまで当然と考えられてきた、場の空気・状況を読める人が減ってきて、人と「分かり合える」という共通認識を感じにくくなってきたことがあるように見受けられます。すなわち、コミュニケーションを意識しなくても良い状況から、意識せざるを得ない状況へと時代が移り変わってきているのです。

コミュニケーションは人と分かり合うための努力

他者とのコミュニケーションにおいて、ストレスや苦痛を感じる機会は、「よく分からない」相手とではなく、「分かっているはず」だと考えている相手とうまくかかわりをもてない時に多く生じます。それゆえ、近しい人間関係、たとえば親子や夫婦間の喧嘩は、相手が自分のことを理解しているとの前提に基づいてなされるため、他者との喧嘩よりも激しくなりがちです。会社内のコミュニケーションにおいても、同様のことがいえます。同じ環境に身を置いている人の多い社内では、社外の人へのコミュニケーションとは異なり、同僚などに対して「説明しなくても分かるだろう」の範囲が広くなり、前提条件や周辺情報が省略されがちです。このような、同僚に対する「分かっているはずだ」との無意識的な期待があるから、期待通りの反応や結果が得られなかった時の、怒りや失望が大きくなる傾向があります。

いくら仕事の場だけといえども、生活環境も人生経験も価値観も異なる他人同士が、努力なくして「分かりあえる」ことのほうが、不自然なことです。「分かりあう」ことが難しい他人同士が、折り合いをつけながら付き合っていくためには、それ相応の努力が求められます。そして、その努力こそが、コミュニケーションなのです。

本連載では、コミュニケーションを「仕事の場面において、他者と良好な関係を保つための、努力や働きかけ」であると考えたいと思います。コミュニケーションとは、分かり合うことが難しい個人の間での、単なる情報伝達の技術ではなく、“分かり合えない他者との関係を良好に保つ”または、“すこしでも分かり合おうとする努力”であるのです。

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